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行事報告

☆ 第31回現場見学会に参加して ☆

 

 

高瀬ダム・黒部ダムを見学して
株木建設葛Z術本部副本部長 武田光雄


高瀬川・黒部川の堆砂と対策
潟tジタ土木本部土木統括部ダム部 根岸善徳


高瀬ダムの堆砂対策について
滑ヤ組森吉山ダム出張所 副島幸也


黒部ダム建設を実現した偉大な技術者たちに感動
鹿島建設樺_沢ダム工事事務所長 高田悦久


黒部ダム関連施設の見学について
滑ヤ組長井ダム出張所 寺田幸男


黒部ダムのウイングダムへの形状変更について
滑ヤ組滝川ダム出張所 庄子 智


黒部峡谷を巡って
前田建設工業椛蝠ロ脇ダム作業所 関根智之


ダム技術者として初心に帰る
褐嚼ン技術研究所東京本社ダム部課長代理 丹羽尚人

 

            

高瀬ダム・黒部ダムを見学して

 

株木建設葛Z術本部副本部長 武田光雄

 本見学会参加には二つの目的があり、一つは国内で最大を誇るフィルダムとコンクリートダムを直接ダムサイトに立ち触れることと、もう一つは、現在、貯水池の排砂技術のワーキングに参加しており、堤体ゲートによる排砂の基本になっている出し平ダムと宇奈月ダムの連携排砂技術を学べることにあった。
 最初に訪れた高瀬ダムは、イメージ的にフィルダムの幕開けになった1961年に完成した御母衣ダムを思い浮かべていたが、堤体下流面のいなずま道路を登って行くと、リップラップ材の一つひとつの大きいことに驚かされた。私が見たダムでこれほど大きい岩材はなかった。高瀬ダムは、七倉ダムを下池として、1979年(昭和54年)竣工した揚水式発電ダムとして、東京電力が本格的に揚水式を進める下地を築いたダムでもあり、また、我が国のフィルダム技術がこのダムの建設により大きな自信に繋がったのではないかと感じさせるダムであった。さらに、この雄姿は日本一のフィルダムに相応しく、背後の北アルプスの山々からの渓流をどしっと受け止め、非常に安定感ある全容を見せていた。
 次の目的である貯水池の排砂技術では、フラッシングとスルーシングの違いが書物だけでは理解できないでいた。出し平・宇奈月ダムの実際に運用している説明を聞くと、結局のところ排砂(フラッシング)と通砂(スルーシング)の違いは、その実施時期が、その年の最初に出洪水時に合わせて堆積した土砂を排出することを排砂といい、その後は出洪水に伴い流入してくる土砂を同じ方法で排出することを通砂と呼んでいることで、この二つの方式は一体なって運用されていることが分かった。
 ダム経験が少ない分、この学会の現地見学会にはできるだけ参加してきた。今回も新たな知見を得ることができ、現地で懇切にご案内・説明を頂いた各位と見学会を企画してくださる小委員会に感謝する次第です。

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高瀬川・黒部川の堆砂と対策

 

潟tジタ土木本部土木統括部ダム部 根岸善徳

 黒部川と千曲川水系高瀬川の水源となる北アルプスの山々は、第三紀以降に断層活動を伴って急激に隆起したもので侵食が著しい特徴があり、保水能力の低い花崗岩類でできているため、豪雨時には大規模な崩壊地から多量の土砂がダム湖に流れ込む問題をかかえている。
 北アルプスの裏銀座コースの玄関口である高瀬ダム左岸の不動沢、濁沢上流には、大規模な崩壊地があり、ダムの堆砂実績は約63万m3/年と計画の約1.7倍の速度で堆砂が進んでいる。一方、北アルプスの鷲羽岳を源とする黒部川流域には年平均4,000mmもの降水量があり、上流部の7,000箇所もの崩壊地から平均勾配約1/40の急流河川を通じて、年間約140万m3もの土砂が黒部ダム〜出し平ダム〜宇奈月ダムに流入している状況である。
 ダムの堆砂は、発電電力量及び洪水調節機能の減少、ダム上流での河床上昇、ダム下流域の河床低下や海岸侵食に繋がり、様々な不具合が生じる恐れがある。このため高瀬ダムでは、沢部の堆積土砂をダンプトラックで下流に搬出し、埋戻し材等として有効利用しているが、これには多額の費用が要され、抜本的な解決策がない問題を抱えている。
また、黒部川では出し平ダムと宇奈月ダムに排砂ゲートを備え、河川の自然の洪水を利用した連携排砂・通砂が行われている。これはこれまでの様々な協議と技術の積み重ねの元に実施されており、現在も数多くの調査結果を綿密に分析し運転管理されているご苦労が伺えた。
 今回、幾多の困難を克服して建設されたダム群を見学させていただき、先人の苦闘と心意気、また現在もダムの運用管理において、様々な自然環境に配慮されながらご苦労されているダム技術者に改めて敬服した見学会であった。

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高瀬ダムの堆砂対策について

 

滑ヤ組森吉山ダム出張所 副島幸也

 高瀬川水系で最上流に位置する高瀬ダムは、見学ツアーか乗り入れ公認タクシーでしか管理用道路を登る事ができないそうですが、今回幸いにその機会を得る事ができました。
 大きなリップラップ、湖面が日に照らされ大変に美しいダムの印象を受けました。176mもの堤高のせいか、洪水吐は1:1.2という勾配よりも急峻に感じ、恐ろしく見えました。しかし、高瀬ダムの見学で一番印象に残ったのは、堤頂からは見通せない貯水池左岸側で発生している、堆砂についてでした。
 左岸側に位置する濁沢・不動沢では上流の崩落が激しく、年間37万m3の想定堆砂量に対し、2つの沢だけで35万m3、全体では63万m3と、実際は大幅に上回っているといいます。このまま放置すれば発電有効容量が減少し、発生電力量の減少などの他、洪水時の水量調節機能が小さくなります。貯水池の機能の維持を図るための堆砂対策事業として、ダンプトラックにより搬出を行い、地元の骨材組合と協力して、埋戻し土・道路路盤材として活用しているそうです。材料は水も切れており、よい使用先があれば扱いやすい材料と思います。コスト検討は必要ですが、管理運用しやすい方法だと感じました。
 堆砂搬出現場の上部には、北アルプス裏銀座ルート登山道への吊橋がかかっていました。吊橋は森団長が設計されたそうで、今は手を伸ばせば届きそうな高さですが、ダム竣工当時には30m程の高さがあり、それが堆砂により埋まったそうです。堆砂・排砂についての問題は近年よく耳にしますが、現実を目の当たりにし、堆砂の凄まじさを改めて感じました。ダムが自然環境と共存していく上で、今後益々重要な課題になると思います。
 最後に本見学会で案内、説明および質疑応答に対応して頂いた各訪問先の皆様、及び見学会を企画して頂きましたダム工学会現地見学小委員会の皆様に厚く御礼申し上げます。

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黒部ダム建設を実現した偉大な技術者たちに感動

 

鹿島建設樺_沢ダム工事事務所長 高田悦久

 黒部川の開発が破砕帯、高熱隧道など技術的に非常に難工事であったことは小説、映画などで多くの人に知られているところである。しかし、黒部ダム建設の大事業に世界銀行からも当時の総事業費約500億円のうち約133億円の融資を受けて建設し、その世界銀行から技術的クレームを受けてダム高を低くしなければならない危機に直面したとき、くじけず、自らの考えで日本で初めての大型原位置せん断試験に日本独自の技術で挑戦し、その難関を乗り越えることができたということはあまり知られていないのではないだろうか。
 戦後復興のためには豊富な電力が必要なことを肌で感じ、その開発に70%の成功の可能性があれば挑戦するべきであると決断した最高責任者がいたこと、1959年のマルパッセダムの事故に危惧した世銀が技術顧問団を送り込み、堤高を150m程度とすることを勧告したのに対し、まだ技術的に実績がない中で、原位置試験によりダムの安全性を立証して堤高186mで世銀を説得し、会社トップの全面的支援によって融資を成功させた技術者がいたことは、現在の日本人にとって非常に幸せであった。また、その人たちに対する感謝と尊敬の念を抱く。
 彼らが何故ここまでやることができたのか、現代人は考える必要があるのではないだろうか。技術力、機械、資源全てにおいて勝っている現在の技術者は、そのときにタイムスリップしたら同じことができるであろうか。国家のための使命感で自らの行動を決断できた黒部ダムに関わった技術者たちに、多くのことを学ばされた。
 現地で細部までご案内・ご説明していただいた方々と、このような見学の機会を作っていただいたダム工学会の関係者に感謝したい。

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黒部ダム関連施設の見学について

 

滑ヤ組長井ダム出張所 寺田幸男

 私は関西電力の新愛本発電所の導水路工事が初めての現場であった。当時は黒部ダム建設に携われた先輩たちが多く居られ、色々のエピソードを聞き、是非一度訪れたいと思っていた。
 今回、黒部ダムには宇奈月側から上がっていったが、大正時代からの黒部川開発の歴史が諸処に連なり、改めて先輩たちの偉大さを思った。トロッコ電車終点の欅平からの竪坑エレベータは仙人谷ダム建設のために昭和12年に着工されており、当時の技術でどの様な掘削・ズリ出し方法で高さ200mの竪坑掘削を行ったのか興味がわく。
 竪坑上部からは上部軌道となりバッテリーロコで仙人谷ダムへ向かう、その途中にあるのが「高熱隧道」である。私たちは断熱された小綺麗な車両で一気に通過していったが、当時の100℃を越える作業環境で常に命の危険を感じながら、遅々として進まぬ進行のなか耐え抜いた人々の精神力は並大抵でなかったと思う。
 バッテリーロコの終点が黒四発電所となり、ここからインクラインにより黒部トンネルに接合し、黒部ダムに至るが、このインクライン設備は斜度34°、長さ815m、ペイロード25tの能力を有しており、ダム関連設備にここまで投資した当時の凄まじいパワーを感じた。
 そして黒部ダム本体工事は1日のコンクリート打設量8,653m3という記録を残しており、今私がいる長井ダムから推して考えても、まさしく驚異的である。
 この見学により、身近な人々の日々の努力により技術が磨かれ具体化していくことをあらためて感じた。以前、黒部トンネルの中で中島みゆきさんが「地上の星」を歌われた。私も10等星ほどの肉眼で見ることが難しいが「地上の星」でありたいと思う。

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黒部ダムのウイングダムへの形状変更について

 

滑ヤ組滝川ダム出張所 庄子 智

 今回の現地見学会は黒部ダムを見ることができるので、非常に期待していた。当然ながら、ビデオなどにより黒部ダムの姿は見たことはあるが、実際にこの目で確かめたいと思っていた。黒部ダム見学で、特に印象深かった両岸の形状変更について感想を述べてみたい。
 黒部ダムの両岸上部の岩盤が悪かったので、アーチの両端に重力式ウイングダムをつけて対応したことは事前に知っていたが、今回の現地見学により、形状変更に至るまでの激しい協議があった事実を、初めて知ることになった。深刻な電力不足を解消しなければいけない関西電力は発電計画を、資金提供者である世界銀行はマルパッセダムの決壊事故を契機に、二度と大惨事が繰り返されない安全性を、両者とも譲れない大前提の中で、日本の技術者達が、世界銀行が派遣した技術顧問団に対して試験によって得たデータを粘り強く説明し、数値によって安全性を立証することにより、技術顧問団を説得した事実に感心させられた。
 現地にて、特別に見学させていただいたロックテストチャンバーは、「上部の地質が良好ではない」という岩盤評価に対して、その強度を測定するために、世界でも例のない大型の原位置岩盤試験が実施された場所が残されたものであるそうだが、当時、国内では手配できない大型ジャッキを使用したり、供試体の大きさが10m3級もあったりなど、未知のスケールでの試験に、すさまじいご苦労があったかと思われた。さらに、この試験が、その後のダム建設にあたって、原位置岩盤試験・評価の手本となっていることも感心させられた。
 先輩技術者の方々は、現状を的確に評価する冷静さと、目的を完遂する情熱をもって、この世紀のプロジェクトを成し遂げられたのだと再度認識し、我々も継承していかねばと、あらためて思い知らされた。

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黒部峡谷を巡って

 

前田建設工業椛蝠ロ脇ダム作業所 関根智之

 見学会1日目の宇奈月ダムでは、一時期テレビでも取り上げられた排砂について詳しく説明して頂き、普段、現場で働いている私は造ることに躍起になっていて、造った後のことについては意識が希薄であったことと、ダム保守管理についての重要性を気づかされました。保守管理上の要点や課題を知ることで、今後は今よりも施工時に広い視野を持って臨めることを感じました。
 2日目の黒部渓谷では、その紅葉の美しさも然ることながら、険しい山々の中を滝のように流れる川に沿うようにして走る電車は、それに乗っているだけでこの工事に関わった人々の苦労を感じることが出来ました。その先にある黒部ダムでは驚きの連続でした。  
 きれいなアーチを描く曲線とその高さ、10kmに及ぶ監査廊、その中にある原位置岩盤試験の跡、などなど。特に自分は大学時代地盤工学を専攻していたので、原位置における1辺が1mを超える規模のせん断試験や圧縮強度試験は見るだけで圧倒されてしまいました。
 このような貴重な体験は一般に観光客として訪れたのでは決して出来ることではないし、技術職として来なければ考えることすら無かったと思いました。
 今回の見学会の3日間はどんな現場見学会よりも多くのものを吸収でき、それ以上のことを考えさせる見学会だったと思います。丁寧に説明して下さいました関係者の皆様、このような見学会に招いてくれた学会の皆様、ありがとうございました。
 また次回、一般観光客として訪れるときでも、技術者としての考えを持ちながら見て周りたいと思います。

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ダム技術者として初心に帰る

 

褐嚼ン技術研究所東京本社ダム部課長代理 丹羽尚人

 黒部川第四発電所の建設に着手した昭和20年代後半は、戦後の日本経済の急速な復興による電力需要の増大に伴う著しい電力不足であったとは言え、500億円を超える大型プロジェクト実施に対する経営者の英断と難工事を支えた技術者・作業員の支援は、その後の社会資本整備推進の先駆けとなる画期的な取り組みであったと考える。
 また、堤体の安全性確保や世界銀行からの資金調達のために実施された岩盤試験の規模の大きさや種類の多さなどからは、技術者の苦労と工夫が感じられるとともに、その技術が現在に生かされていると感じた。
 宇奈月から黒部川を上流へと向う際には、時刻表に載っていない朝一番のトロッコ電車を利用したが、その電車は発電施設の保守に向かう多数の作業員のための通勤電車であった。見学した黒部ダム・高瀬ダムなどは、自然環境と調和して美しい景観を創り出しており、紅葉シーズンであったことも重なり、観光客で混み合っていた。
 国民の安全で豊かな生活を確保するために造り出されたダム・発電所などの施設が、地元とバランスよく共存している風景は印象的であった。
 次の世代にとって良き日本とするためには、明確な将来像を持ち、地元への対する調和・還元にも配慮した社会資本整備とそのための技術開発を、たとえ逆風の中でも地道に進めていくことが重要である。本見学会は、ダム技術者としての心構えを再認識する良い機会であった。

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