行事報告
1.はじめに
一級河川・筑後川の本川上流に建設された松原ダムと、その約4km上流に位置する同水系の津江川に建設された下筌ダムは、1953年(昭和28年)6月の昭和28年西日本水害による深刻な被害を契機に、筑後川水系治水基本計画に基づいて1958年から1972年にかけて同時に建設された。ともに国土交通省九州地方整備局が管理を行う国土交通省直轄ダムである。
松原ダム・下筌ダムは、日本の公共事業において避けて通れない問題として1958年(昭和33年)から1971年(昭和46年)まで13年間に亘って続いた、ダム史上最大の反対運動・「蜂の巣城紛争」の場所である。当日はそうした歴史を偲びながら小雨がぱらつく中での見学となった。
2.松原ダム
松原ダムは大分県日田市、一級河川・筑後川の本川上流部に建設された、堤高82.0m、堤頂長192.0m、堤体積294千m3の重力式コンクリートダムである。筑後川の治水と福岡市を始めとする福岡都市圏への利水、水力発電を目的とした特定多目的ダムである。
コンクリート打設は、川俣ダムから転用された9t吊両端走行型ケーブルクレーンを使用した。
松原ダム工事用仮設備平面図
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松原ダム全景 |
ダム天端で説明を受ける |
3.下筌ダム
下筌ダムは大分県日田市と熊本県阿蘇郡小国町にまたがる、一級河川・筑後川水系津江川に建設されたダムで、堤高98.0m、堤頂長248.2m、堤体積280千m3のアーチ式コンクリートダムで、筑後川の治水と日田市への利水、水力発電を目的としている特定多目的ダムである。前述の「蜂の巣城紛争」の舞台としても知られている。なお、下筌ダムの銘板にある「下筌ダム」の文字は、蜂の巣城紛争の中心人物、室原知幸氏が書いた「下筌ダム反対」の看板を写したものである。
コンクリート打設は、9t吊ワードレオナード方式ケーブルクレーン、4.5t吊軌索式ケーブルクレーンが使用された。
右岸の管理棟前で説明を受け、その後エレベータでダム中段まで降り、下流側のスライドゲートまで案内していただいた。途中、一回り小さいサイズの監査廊を通りながらコンクリートの打継目等を観察するにつけ、昭和40年代のダム建設技術に思いを馳せるものがあった。
蜂の巣城(当時) |
下筌ダム工事用仮設備平面図
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下筌ダム全景 |
下流側スライドゲート近傍で説明を受ける |
本見学会の参加者は官公庁、コンサルタント、ゼネコンと多業種にわたっており、情報交換、懇親のうえで非常に有意義なものでした。
最後に、多忙な折り、ご説明とご案内をいただいた国土交通省九州地方建設局松原ダム管理支所、下筌ダム管理支所の皆様、大藪団長、当見学会を企画案内いただいた現地見学会小委員会の各位に厚く御礼申し上げます。
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