会長挨拶
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ダム工学会
会長
梅田 貞夫 (うめだ さだお)
鹿島建設株式会社 代表取締役会長
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20数年ぶりのダム技術者としての想い
私は、このたびダム工学会の会長に推挙され、5月20日の通常総会以降1年間
、その任に当らせていただくことになりました。
実はこの20数年、私はダム技術とは全く縁のない業務に就いておりましたので
、その間のダム技術の進歩についてはほとんど知る機会もなく、ましてやダム工学会がどのような経緯で創られ、官学民のダム技術者によってどのように活動をされてきたのか知りませんでしたが
、今回それらについてのお話を聞き、従前ダムに関わっていた者の一人として心強くそして本当に嬉しく思いました。
私とダムとの関わりは、大学院修士課程の頃、由良川をテーマとして水文学的研究と題して論文をとりまとめていた際
、その水系に建設中の大野ダムを毎月のように訪れていたことに始まります。その建設の工程をずっと見続けているうちに、自分も将来はダム建設に携わる仕事に進みたいとの思いにかられ
、鹿島建設に入社しました。
以来、幸いにも自分の思い通りの道を歩むことが出来
、矢作ダム(アーチダム)を皮切りに、ロックフィルダムの最盛期となった昭和40年代にはダム課長として岩の爆破技術の研究や施工指導
、および岩盤力学の研究に従事しました。昭和40年代の後半にはコンクリートダムの急速経済施工法が研究課題として世界的にとりあげられ
、国際大ダム会議でも多くの論文が発表されるところとなりました。日本でもその一環として
RCD(Roller Compacted
Dam — Concrete)工法の研究が進められることとなりました。丁度その頃大川ダムの所長として赴任していた私は
、大川ダムがわが国でRCD工法が採用された第1号のダムとなったためにその試験工事を担当する巡り合わせとなったのです。試験工事ではノースランプコンクリートの品質管理方法や施工仕様の決定などRCD工法の施工管理全般の指針を決め
、本工事への適用基準を定めました。大川ダムではダムのマットコンクリートとして同工法が適用されましたが、実施工は私が川治ダムへ転勤の後となりました。
川治ダムは当時直轄では最大のアーチダムで
、本体堀削がほぼ終了しようとする時期での赴任であり、基礎処理を含めたアーチダムの集大成として施工技術の確立に官民一体となって邁進したことは
、ダム技術者として、今でも印象に残る一ページであります。
このように昭和58年川治ダムの完成を以って現場を離れるまで
、ダム一辺倒の土木屋人生を送ってきました。
ところで、私は常日頃から社会資本を整備していく立場にある土木技術者
、とくにダム技術者は、その重要性や必要性を広く国民に訴え、理解を得るべき役割を担っていると思っています。その意味でも官学民一体となったダム工学会の役割は大きく
、社会の動向が変化し、国民の価値観も移り変わっていくなか、その変化を敏感に捉えて、その役割を遂行していく必要があると思っています。
今後とも会員の皆様とともに、ダム工学会の発展のために頑張っていく所存ですのでよろしくご指導
、ご鞭撻の程、お願い申し上げます。
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